中越地震体験記11 支援者側の苦悩 10/27(地震5日目)

この震災体験記を纏めるにあたり、つい先日、「災害支援活動についてのアンケート」をいただきました。
これは、震災当時、(社)新発田青年会議所理事長を務めていた渡辺明紀さんが2005年に記入し、県JCブロック協議会に提出されたものです。
震災5年目にして初めてこの記録に目を通し、当時、危険と背中合わせの中、多くの困難を乗り越えご支援いただいたことを改めて感じ、言葉にはできない思いが込み上げてきました。

 

新発田青年会議所は26日に小千谷小学校で最初の炊き出しをしてくださいました。
その日はその秋一番の冷え込みだったそうです。
26日に小千谷で炊き出しを提供するには、震災直後から動き始めなければ間に合いません。

 

24日にようやく繋がった電話で、こちらからの無理な要請にも関わらず、1日でメンバーの募集、資金確保、食材資機材の調達を果たし、26日早朝に出発しています。

 

27日には、震度4,5クラスの余震の中、崩落した道路を迂回を繰り返しながら、塩殿を抜け真人地区にまで入っていただきました。

国道117号線

新発田のみなさんは、度重なる余震で到着予定時刻を大幅にオーバーしても、危険な現場に遭遇しても、目的を達成するまで引き返すことをしませんでした。
「目の届きにくい地域に一刻も早く支援したい」という思いから、わたしが強く要請してしまうことにより、使命感の強い渡辺さんを、随分と苦しめてしまっていたのではないかと思います。

 

危険と背中合わせの中、団体を統率するリーダーの責任と決断は大変重いものがあります。安全の担保されない激震の地にメンバーを連れて行っていいのだろうか、という大変な葛藤の中、現地入りを決断された渡辺理事長、そして行動を共に支援してくださった皆さんに深く深く感謝いたします。

 

現地入りくださった方々はもとより、食材から資機材など、その影には
更に多くの方々の善意により成り立っていました。

 

魂のこもった、「一杯のうどん」の重さは決して忘れません。

 

   ~ 以下が支援活動のアンケートです。(原文のまま掲載)~

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昨年の災害支援活動に関してのアンケート

青年会議所名 (社)新発田青年会議所      記入者名 渡辺 明紀 
質 問 事 項
(1)昨年の水害・震災に対して、JCとしてどういう形で携わってこられましたか。

《水害》   ~ 省 略 ~
《震災》
10/26(火) 午前10時30分~午後4時30分  参加者12名
         小千谷小学校グランドにおいてうどんの炊出し作業。(1,150食)
10/27(水) 午前10時30分~午後3時00分  参加者18名
         小千谷市栄町団地及び真人地区、他においてうどんの炊出し作業。
         (栄町団地400食、真人地区1,200食、他地区400食 計2,000食)
10/29(金) 午前10時30分~午後2時00分  参加者 2名 
         小千谷小学校グランドにおいて豚汁の炊出し作業。(200食)
10/30(土) 午前10時30分~午後3時00分  参加者 4名
         小千谷小学校グランドにおいて豚汁の炊出し(200食)、
        及び夕食の炊出しの設営準備。
11/7(日) 午後 3時00分~午後6時30分  参加者 5名
       小千谷小学校グランドにおいて豚汁の炊出し作業。(300食)
11/8(月) 午前 8時30分~午後6時00分  参加者 2名
         小千谷ボランティアセンターにおいてスタッフ業務
        (被災者からのボランティアの要望に対する電話対応)
11/10(水) 午前 8時30分~午後6時00分  参加者 4名
         小千谷ボランティアセンターにおいてスタッフ業務。
         (被災者からのボランティアの要望に対する電話対応)

余震が続いた事もあり、個人レベルには中々現地に入れず、水害時との違いを感じた。

(2)水害・震災ではどんな時期に、具体的にどんな活動をされましたか。(時系列的に記載をお願いします。)

《水害》   ~ 省 略 ~
《震災》
10/23(土)地震直後小千谷付近が震源とのニュースを聞いたので、宮崎理事長(小千谷JC:04年当時)と電話連絡を取ろうとするが、不通。
10/24(日)にも、引き続き宮崎理事長に電話を掛け、夕方にようやく繋がる。御見舞いを申し上げた後に“今一番必要な支援は何か?”と聞くと、市民に温かい食事を与えて欲しいとの事であった。取り急ぎ山田専務に電話をするが、7.13水害で理事長専決事項の災害対応のための予算をある程度使ったので、これ以上の支出は難しいとの返事であった。その旨宮崎理事長に話をし、片付けなどの労力奉仕のボランティアなどの対応ならば可能であるが、、、と提案するが、やはり現地で今必要な事は“市民への温かい食事”であるとの宮崎理事長の意向であった。とにかく宮崎理事長が求めるものを提供すべきだと腹を括り、資金的な問題は何とかすることにして、山田専務にはとりあえず1,000食のウドンを準備するようにお願いした。
10/25(月)にLOMメンバーへの連絡、食材・資機材の調達、警察へのボランティア車両の登録などの雑務は一切山田専務に取り仕切ってもらって、自分は募金箱を持ち、LOMのOBが多数在籍する新発田ロータリークラブへ募金のお願いに出かけた。例会の時間を一部頂戴し、被災地支援に行きたいので資金補助をお願いしたいと正直に申し上げ、募金箱を廻したところ、大勢のメンバーの方より数多くの篤志をいただき、また酒造メーカーの先輩からは水、精肉業者の先輩からは豚の角煮、製麺業の先輩からはコンロの無償提供など多数の現物支給を頂いた。ロータリーの皆様からは「本来なら自分たちは行きたいのだが、中々現地に入れない。JCの皆さんが行かれるのならば是非自分たちの分も頑張って欲しい」と激励のお言葉も多数頂いた。非常に有難いことであった。
10/26(火)より小千谷小学校・社会福祉協議会に於いて、うどん1000食の食料支援を実施。現地では余震が続く。温かいうどんは大変好評で、翌日は更に場所・規模を拡大し実施して欲しいとの要請があり了承。新発田で後方支援をしている山田専務に連絡し、翌日10/27に2,000食の食糧支援の準備を要請した。併せて資金確保のため、宮嶋副理事長等に、当日丁度開催されていた新発田商工会議所総会に急遽出向いてもらい、被災地の現状を説明し募金箱を廻して多額の協力を頂いた。また新発田JCのみでは小千谷市周辺部数箇所での食料支援を実施することは人数的・機材数からも困難と判断し、急遽(社)中条青年会議所に協力を依頼し、共同での支援に快諾を得る。
10/27(水)には、中条JCと共にひとまず小千谷小学校に出向き、小千谷JC佐藤専務理事(当時)に食糧支援場所まで案内をいただき、メンバーを3箇所に分けて展開した。道中では余震が頻発したため、何度も休憩をとり周辺事情を確認しながらの展開となった。現地は消防車、救急車がサイレンをならして走り回り、緊迫した状況であった。また特に真人(まっとう)地区への道中では、消防団などが警備する一般車両通行止めの区間(路肩が崩れて片側通行の箇所が多数あった)が数多くあり、仮にその区間を通行中に余震があってLOMメンバーに被害が出たらと思うと胃が痛くなる状況であった。
10/28(木)は一旦食料支援を休み、新発田で今後の支援について準備を行った。
10/29(金)、10/30(土)とメニューを変えて、トン汁の支援を行った。現地での食料支援団体も増えてきたので、少人数での支援として昼食のみの支援とし実施した。
11/4(木)にブロック協議会において、緊急理事長会議が行われ、ブロックとしての今後の支援方針が決まった。エリアごとに日程を決めての食料支援とボランティアセンターの支援であった。
11/8(月)から3日間が第一エリアの担当であったが、エリア内の他LOMと協議し、他LOMは交代で食糧支援、当LOMはボランティアセンターでボランティア要請電話の対応をすることとした。11/8、10と現地に赴き電話応対を行った。
また年が明けて、2005年3月12日(土)に長岡市内の仮設住宅に非難している山古志村民への慰問として、陸上自衛隊第30普通科連隊(新発田)と同行し、長岡丘陵公園において、お汁粉300食の無料配布を行った。

(3)活動を通じて得た教訓から、これからどんな事が必要だと感じていますか。

《水害》  ~ 省 略 ~
《震災》
いち早く現地に入ったブロック会長等の行動には敬意を表するが、ブロック事務局が現地で得た被災状況などをML(メーリングリスト)やHP(ホームページ)を通じてLOMにも流して欲しいと感じた。今回MLを通じて流れてくる情報は、トラックを何台、人員を何名出して欲しいという要請のみで、現地の被災状況、被災地LOMが求めている支援内容などは一切流れてこなかった。ただ人数を出して欲しいというだけでは、余震の続く中メンバーを送り込む事に躊躇するLOMがあったのも仕方が無いことだと思う。またブロック協議会が赤十字や社会福祉協議会などと一緒にボランティアセンターに入ったので、活動の幅が広がったというメリットを感じたが、一方ではタイムリーな活動が制約を受け、被災地の求めている支援ができたかどうかは再考を要すると感じた。つまりブロック協議会事務局が必要な情報を持っている訳ではなかったので、指示を待っていてはタイムリーな支援は不可能と考えて、今回は個人的なネットワークでLOMとして独自に行動することにした。ブロック協議会の一員としての行動と、社団法人格をもつLOMとしての行動を、どのようにMIXさせていくかが今後の協議ポイントの一つになると思う。しかし余震が続く中で、今回はブロック協議会も最善を尽くしたと理解したい。
また被災地LOMの理事長・専務理事はじめとするLOMメンバーは、自身の家庭や会社が被災しているにも関わらず復旧に尽力しており、個人的に多大な負担が掛かっているので、彼らが存分に力を発揮するために、個人の家庭や会社への側面支援(片付けや家族のケアなど)も必要だと感じた。今回は、LOMでも執行部会を開いてこの点についてどのように対応するか協議を行ったが、難しい問題である。“まち”のためにと、、日頃より活動しているLOMが、非常時には“まち”よりも“自分の家庭・身内”を優先し助けていては市民の信頼を失いという意見もあれば、被災したLOMメンバーも“まち”の一員なので、彼ら自身がいち早く復旧することで、“まち”の復旧に専念でき、結果として“まち”のためになるという意見もある。心情的には後者であるが、被害に遭っているのはJC関係者だけではない現実の前に決断は難しい。皆様からの意見もお聞きしたい。
さらに余震の続く被災地に、有為な人材であるLOMメンバーを連れて行って良いのかどうか、非常に迷うところであった。と言うのはもしもの事があったら責任が取れないし取り返しがつかないからである。余震が続く限りは被災地にメンバーを派遣しないと明確に仰っていた理事長が何名か居られたが、私はその判断は“LOMを預かる理事長として”ある意味、責任を持った重い判断だと感じ、その姿勢を評価したいと思う。