中越地震体験記 9 届かない支援 10/26(地震4日目)

26日の炊き出しはとにかくあわただしかった。

 

千人分単位で作っても長い行列ができて、あっという間に無くなってしまう。
ほとんどの避難者がパンや、おにぎりなどしか手にしておらず、
震災後、初めて温かいうどんやトン汁などを口にした人が多かった。

 

特に体力の弱い高齢者にとって、乾いたパンなどは喉を通らず、
度重なる余震も重なり、すっかり憔悴しきっているのが
はっきりと見て取れた。

 

市街地の小学校や体育館での炊き出しは、
この日から少しずつ体制が整ってきていた。

 

しかしながらもっと深刻なのは、外や車の中など、数人で避難
している人や、道路が寸断されて孤立した集落などだった。
夕方から可能な限り鍋に小分けして、少人数の避難者に届けた。
小千谷JCメンバー2、3人で走り回っても焼け石に水。
3万人近い避難者には無力に近い状態だった。

 

当たり前だが、危険な場所や孤立している中山間地ほど支援が届かない。

 

池ヶ原地区もそのひとつだった。
その夜、はじめて先輩の村山豊久さんと連絡がとれた。
池ヶ原地区は地震直後から孤立し、ビニールハウスの中で
住民が避難しているという。

 

急遽、不足している毛布や食料を緊急車両に満載し、現地に向かう。
崩落現場のバリケードの前で警備員が立っていたが、
緊急物資を積んでいること、事故の責任は私自身が取る
ということを約束して強行突破。

 

ビニールハウス前で村山さんらと会い、互いの無事を喜びあった。
そこには機転の利いた素晴らしい緊急避難所が出来ていた。
ビニールハウスの中にブルーシートを敷いて、寄り添うように避難していた。

 

ビニールハウスを活用した避難所(池ヶ原)

炊き出し料理と毛布を下ろしたが、外の寒さを凌ぐには
車一台分の量では全く足りなかった。
改めて、不足している毛布や、果物などの捕食の提供を約束。
そして、下界がどのような状況になっているかを、知っている限り伝えた。

 

深夜に地元の方が労をねぎらうように入れてくださったコーヒーが
とても美味しく印象的だった。
皆さんが大変な中にもかかわらず、この混乱時に入れてくださる温かい一杯に、おっぢゃんしょの心根を思って、胸が熱くなった。