中越地震体験記 7 緊急会議 10/25(地震3日目)

10月25日小千谷市震度
震度5強-1回 震度5弱-1回 震度4 – 2回  
震度3 - 8回 震度2- 19回 震度1-51回

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次々と明らかになっていく被害。
死傷者の数が時間を追うごとに増えていく。

 

小学生児童の訃報に胸が締め付けられる。

 

25日午前の打ち合わせで、
福祉施設「サンラックおぢや」が災害ボランティアセンターの本部、
本部長に社会福祉協議会局長の篠田英哉さん、副本部長にNPOの寺島さんと
私が就任する事が正式に決まる。
ちょうどその年、7.13水害の経験もあったので、県内JCの
ネットワークで数十人単位のチームを作れるだろうと伝えた。
会議後、一刻も早く機能できる様、人や備品の段取りを行った。

夕刻になり、サンラックおぢや1階でJCの緊急会議を開いた。
大変な状況の中にもかかわらず、20数名ものJCメンバーが集まってくれた。
ライフラインも全て寸断されているため、補助電源による明かりの下での会議だった。

まずはメンバーとその家族の無事を確認した。
若干けが人もいたが、軽傷であった事が不幸中の幸いだった。

つづいて、青年会議所は戦後荒廃した日本を再建させる
青年の使命感から生まれたということを伝えた。

そして本題に・・・
「私たちの小千谷がまさしく戦場と化している。
このふるさとを再建させるのは私たちJCの使命だ。」
と被災者支援と災害ボランティアセンター立ち上げの
協力を呼びかけた。

しかし、被害はあまりにも深刻だった。
重苦しい空気の中、しばらく間をおいて
「住む家もない」 「社員との連絡も取れない」 「会社も倒壊寸前」
等という生々しい声が上がった。
ポンプ業者のメンバーが「水道は年内一杯は難しい」と状況を予測。
みんなの顔が更に険しくなっていく。
「気持ちはわかるけど、そういう状況ではない」というのが大半を占めていた。

しかし食料や物資を早く配らなければならない。組織がなければ何もできない。
「それなら何もしなくていいのか」とみんなに問えば、「そうでもない」と。
長い時間が過ぎていった・・・

災害ボランティアセンター前で鉄階段の下敷きになった車

災害ボランティアセンター前で倒壊した鉄階段

と、突如、会議の途中に強烈な余震。

会議どころではないという声。

とても強要できる状況ではなかった。

「まずは家族と社員を守ってほしい。それも青年の使命だ。
だが、誰かがやらなければならないのも事実。1時間でもいい、
時間がとれたら来てほしい」

それだけ伝えて、その場は、なし崩し的に解散となった。

昨日依頼していた大型投光機20基がサンラックに到着。
上越JCの皆さんが危険を顧みず、余震が続く悪路を運んできてくれた。
小千谷メンバーの笹岡正栄君、南雲丈克君、内山健太郎君、高橋重尚君達を
中心に、西地区、東地区、片貝、吉谷方面等に配置。
作業は深夜まで及んだ。

深夜車内で一人になると
「明日は誰か来てくれるのだろうか?
本当に運営できるのだろうか?」
色々な思いが交錯した。