中越地震体験記 4 決意 10/24(地震翌日)

10月24日小千谷市震度
震度5強-1回 震度4 – 2回  震度3-19回 
震度2-29回 震度1-77回
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昼ころ、被害状況を確かめようと市役所に行ったところ、
1階に災害対策本部が立ち上げられていた。
関広一市長をはじめ市職員と自衛隊の方々が詰めていた。
しかし、錯綜する情報に、現場は混乱を極めていた。

入ってくる情報が、一枚、一枚、壁に張り出されていく。
死亡者、崩落した道路。生々しい情報が次々と飛び込み、
被害の大きさが徐々に明らかになっていく。

「ここでだれかボランティアセンターを立ち上げてくれないか」
災害対策本部で、ボランティアセンター立ち上げの声が上がった。
いち早く県外から来た人がマニュアルのようなものを持っていた。

「宮崎さん何とかしてくれないか」と声が掛かった。
「こういう状況の中でどうして俺が・・・」
しかし、昨夜バイクで見て回った市内の状況が頭を駆けめぐった。
小千谷市民全員が同じ被災者だった。だれかがやらなければならなかった。

「それが本当に自分なのか」。
それを自らに問い掛けるが、ゆっくり考える時間などそこにはない。
やるべき概要を伺いボランティアセンター立ち上げを決意、
すぐに準備に取り掛かった。

地震翌日の災害対策本部

まず市長と自衛隊幹部と状況を確認した。
「今しなけれならないのは何なのか」。
「温かい食べ物と灯り」と自衛隊。
水とおにぎりは自衛隊が提供していたが、温かい物はすぐに準備ができない。
その準備と組織を作ることが必要だった。

数時間後、災害対策本部に県JCブロック協議会長の山岸さんが、駆けつけてくれた。
「できる限りの大型投光機と炊き出しを!」その場で緊急依頼をした。

予測の全くつかない中、手探りでの打ち合わせ。
ボラセンの仕事がどこまでなのかさえ把握ができない。
自衛隊と打ち合わせをしていく中で、人命も救わなければならない
だろうと感じるほどだった。
後日、自衛隊の阿部金二連隊長が私に教えてくれた。
「“情報がない”という事が情報なのだ。情報の入らないところが、
一番危険で早く手をかけなければならない」と。

石垣が崩れた様子(稲荷町)

ボラセン立ち上げ協力者を募るため、災害対策本部を後にした。
改めて市内各地を回る。あらゆるところに大勢の避難者。
「一刻も早く支援しなくては!」そう思うと
目の前に繰り広げられている光景が朝と全く違って見えた。