中越地震体験記 2 地震発生 10/23(地震初日)

2004年。それは特別な年だった。
生まれ育った小千谷市は市制施行50周年を迎えていた。
そして私は、小千谷青年会議所(JC)理事長を務め、
計画した多くの事業を終え、充実した一年が終わろうとしていた。
10月23日。その日は長岡市で、近隣青年会議所役員の会合があり
小千谷から山岸豊司さん、位下寿生君と三人で出席していた。

長岡駅前ビル1階のレストランでの2次会の席だった。
突然「ドンッ」という衝撃のあと、椅子やテーブル、
壁にかかっていたものなどが激しく揺れだした。
わけも分からず、すぐに店の外に飛び出した。
次々と起こる激しい余震に人々は逃げ惑い長岡駅周辺は
大勢の人間で溢れかえっていた。

状況を把握しようと思っても電話が通じない。
そんな中、「震源地は小千谷だ!」との第一報。
血の気がスーッと引いていくのが分かった。

小千谷に向かう手段を探していると、十日町行きのバスを見つけ、
三人で飛び乗る。バスは国道17号を走って小千谷に向かった。
数キロ走ると宮内あたりからは、まったく明かりがなくなった。
バスの運転手は急ブレーキをかけたり、急ハンドルを切ったりと必死だ。
道路の段差はひどく、いろいろな物が倒れていた。
小千谷に近づけば近づくほど、被害が大きくなってくるのを感じる。
そして、妙見の崩落現場まで来た。通行止めになっていることを知って、
更に危機感が強まる。
「小千谷はどうなっているのか」
小千谷大橋を渡って、長岡市から小千谷市に入ると、あらゆるところで
道が陥没している。バスはルートを変えて、迂回しながら市街地へ向かう。

東西の市中心部を結ぶ旭橋の袂までくると、店舗が崩れていた。
バスはこれ以上は進めなかった。

(写真 ボランティア有志)
中越大震災 写真

「ここで降りてください」と運転手は言った。
旭橋の袂には恐怖と不安で橋を渡れないお年寄りがいた。
位下君とはここで別れる事に。
彼は、そのおばあさんを元気付けながら闇の旭橋を渡っていった。

中越大震災 写真

ありとあらゆるものが破壊されている。
明かり一つない真っ暗な闇の中で、時折人影が見える。

中越大震災 写真

中越大震災 写真

変わり果てた本町、平成の商店街を歩く。
山岸さんの隣の家は完全に倒壊していた。
山岸さんから軽トラックを借りて自宅がある吉谷へと向かった。

道路はマンホールが隆起していたり、また陥没していたりして、
なかなか前に進めない。迂回を繰り返しながら家へ急いだ。
ほかの車は、どう動いていいか分からず、混乱していた。
私が進むと、後ろに連なってくる。
徒歩と車で自宅にたどり着いたのは9時半すぎだった。

変わり果てた自宅の前で親父がぼうぜんと立ちつくしていた。